市場について

市場の役割

全国各地から新鮮な食品がここに集まる!

卸売市場は、地域流通の拠点として、広く市民に生鮮食品等を安定的・効率的に供給するという使命を担っています。
また、各地から大量に集めた生鮮食品等を適正な価格で、できるだけ早く円滑に消費者の手元に届けるという、役割があります。

沿革・年表

西宮には、公設の市場が1つ 民設の市場が2つありました。

明治18年  与古道町 喜田清左ェ門氏が卸売市場を開設
明治22年  石在町  青物市場を開設し第2番目の市場
明治36年  染殿町  500坪の用地で西宮青物定市場と改める
大正13年   〃   東川の上、東川食料品市場が開設
昭和7年 東川食料品市場は、現在の六湛寺町に移転。
名称を西宮食料品卸売市場と改め。その後、西宮魚菜市場と改称
(西市場)
昭和9年 西宮青物定市場は、現在の池田町に建設され、西宮中央青物市場となり、後に西宮国道卸売市場に改正されさらに西宮中央魚菜市場に改称
(東市場)
昭和23年 池田町に公設の西宮市食料品卸売市場が開設され、後に西宮市中央魚菜市場と改称
昭和47年 地方卸売市場法の制定に伴い、市場名を改正
・西宮市中央魚菜市場 ⇒ 西宮市地方卸売市場(公設市場)
・西宮中央魚菜市場(東市場)⇒ 西宮東地方卸売市場(民設市場)
・西宮魚菜市場(西市場) ⇒ 西宮地方卸売市場(民設市場)
平成13年12月31日 民設市場の西宮地方卸売市場(西市場)が廃場
平成30年12月1日 民設市場の西宮東地方卸売市場(東市場)の開設者である西宮東地方卸売市場協同組合が西宮市場株式会社へ組織変更
令和元年7月1日 西宮市地方卸売市場(公設市場)を廃止し、西宮東地方卸売市場(民設市場)へ統合
令和5年10月13日 新市場の施工に伴い、西宮地方卸売市場(民設市場)へ名称変更
現在 西宮地方卸売市場(民設市場)として営業

昔の市場

JR(旧国鉄)西宮駅に隣接し、国道2号(旧阪神国道)に面した一区画に市場があったこともあり、最盛期の昭和40年代には、3市場の青果・鮮魚・乾物・塩干・付属業者合わせて166業者あった。

市場への買出し業者も1日約500人にのぼり、商圏は、西宮市内・芦屋市・神戸市・宝塚市・伊丹市・川西市・池田市・高槻市・茨木市・尼崎市・豊中市・三田市方面にまで及んだ。
卸売市場で取引される青果物の産地は、全国30都道府県にものぼっていた。

昔の市場

卸売市場で使われていた数字の符丁

一昔前には市場内業者と買出し業者との売買の場において、売り手は売値を買い手は買値を伝える時に数字の符丁を使っていました。

下記は主に関西で使われていた符丁です(地域によっても違っていました)

1-ピン 2-メノジ 3-ダイク 4-ランプ 5-オンテ  6-カミ 7-ホシ 8-バンド 9-キワ 10-ピン  11-ビリ 12-ショウキ 13-マイリ 14-ショウウ 15-チンチョウ  16-ムーマ 17-ムーツ 18-ムータ 19-ムーケ 20-メノジ  21-テンチョボ 22-テンナナ 23-ネジ 24-レンシ 25-ハナチョウ  26-メーマ 27-メーツ 28-メータ 29-メーケ 30-ダイク

本来は、99まで言い方があったようです。私(中島事務局長)の祖父の代ぐらいの人までなら、おそらく知っていたと思いますが、今は全て知っている人は残っていないと思います。

現在では、このような符丁で言うのではなく、直接数字でやり取りしているのが多いです。

当時の風景

画像クリックで拡大します。

S29年

S29年 当時の市場の前を通る市民祭りのパレード。

S30年代

S30年代 野菜はムシロで包んでリヤカーや自転車の荷台に。

S30年代

S30年代 まだまだ自動車が少なかったころ、自転車の荷台一杯に積んで・・・。

S35年

S35年 路面電車が走っていた頃の国道と線路の間に卸売市場の瓦屋根が広がっている。

S38年

S38年 国道とJRの間に東西の市場が並んでいる様子が見える(写真の上部)

S40年代

S40年代 この頃は鮮魚の扱いも多かった。

S44年

S44年 卸売市場を行く托鉢僧(近くの海清寺)

S44年の住宅地図

S44年の住宅地図。

S58年

S58年 この頃はまだ、今はない西市場の瓦屋根も整然と並んでいる。

<※このページの写真等は西宮市情報公開課提供>